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HAGIBLOG

自転車とお菓子作り

駝鳥と僕とBMC

20130914

 

こんなところにダチョウがいるのか。体長の半分ほどもある細長い首。胴体に不釣り合いな小さい頭部。まじまじと見れば見るほど、ダチョウというのは変わった生き物に見える。頭をもたげ、こちらには意にも介していないふうで、焦点の合わない物憂い目をどこかへ向けている。落ち着いた、何かをあきらめているようなゆっくりした動作。ダチョウを見ていて、妙に物悲しく感じるのは、なぜだろう。

高村光太郎の詩に「ぼろぼろな駝鳥」という一篇がある。

 

何が面白くて駝鳥を飼ふのだ。 動物園の四坪半のぬかるみの中では、 脚が大股過ぎるぢやないか。 頸があんまり長過ぎるぢやないか。 雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢやないか。 腹がへるから堅パンも食ふだらうが、 駝鳥の眼は遠くばかり見てゐるぢやないか。 身も世もない様に燃えてゐるぢやないか。 瑠璃色の風が今にも吹いて来るのを待ちかまへてゐるぢやないか。 あの小さな素朴な頭が無辺大の夢で逆まいてゐるぢやないか。 これはもう駝鳥ぢやないぢやないか。 人間よ、 もう止せ、こんな事は。

 

抑圧され自由を奪われることへの悲しみというか憤りが直情的に吐き出されている強い詩だ。しかしまあ、飼われている動物は他にもいるわけで、とくべつダチョウを飼うことだけが悪いことではないだろう。飼ったっていいではないか。

ただ、気にかかるのは、そこまでぼろぼろではないこのダチョウと対面したときに感じる、この印象、この物悲しさを湛えた印象はなんなのだろう、ということだ。ダチョウとはもともと悲壮感を喚起させる動物なのか。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。

それはなんだろうな、つまるところ、そのときその場所で、このダチョウは無言で語っていたような気がしたのだ。それこそ「もう止せ、こんな事は」と。止そう止そうと思っていることは、大概にしたほうがいいですよ、と。あの虚ろな目で見透かされていたかのようだった。僕の、このろくでもない生き方を。

 

ルートのおさらいを簡単にしておこう。

スタートは県民の森から。いつもの上り道。いつもの給水所。

20130914

 

朝日町へ下って行く。ここからいつもの道ではない、初めての道を走ってみる。観光案内所的ななにか。あるいはカフェ的ななにか。立ち寄りはしないけれども。

この辺の道の見え方もいいな。緩やかなV字の斜面で、道の先が迫り上がって見える感じ。橋のかかっている感じ。その場その場の道は一瞬で過ぎ去って行くけれど、こういうちょっと心に残る風景がちょっとずつ蓄積されていって一つライドが一つの物語になるのだと思った。

20130914

20130914

 

案内標識に従って「Asahi自然観」へ。二度目の山登り。けっこう傾斜がきつかったけれど、まあ終わらない坂道もないので頑張ってこらえていれば、どこかには着くのだ。ホテルのような建物にたどり着いた。ホテルの売店というかフロントでアイスを買って食べる。正面玄関に冷たい足湯がある。

20130914

20130914

 

前々から思っていたのだが、「Asahi自然観」とはいかなる場所なのか。この辺り一帯が、自然というのはこういうものですよ、ということなのか。駐車場の奥にダチョウが飼われていた。ウサギもいる。

20130914

 

山を下って、大江町の道の駅、桃とぶどうを食べる。あとは帰るだけ。だけど、だいぶ疲れてしまった。お昼くらいまでには帰るくらいの感じでと家を出たが、思ったよりだいぶ走った。天気は暑すぎず、大変走りやすかった。

20130914