ヤマドリを食べる
もらったジビエ、今回はヤマドリを食べてみる。
当初は「鍋にするといいのかなぁ」と考えていたけど、結局、丸ごとオーブン焼きにした。
丸鶏のローストチキンと同じ要領である。前日からブライン液に漬け込んでおいた。中にはご飯を詰めた。野菜の上にデンと置き、オリーブオイルを塗ってオーブンへ。


焼き上がったヤマドリ。
適当に切り分けて食べてみた。うん、おいしいな。
味は普通の鶏とそう変わらないかなあ。下味はもう少し付いていると良かった。
一緒に焼いた野菜も、鳥の脂を吸ってうまい。お腹に詰めたご飯なんかは、濃厚なリゾットになっている。
食べた後の骨は取っておいて、翌日はスープをとろう。
胃の部分かな、鳥が食べた穀物がぎっしり詰まっていた。(焼くときにこんもり丸まっていて、変な色しているな、と思ったのだ)
気持ち悪くもあるが、命を頂いている、という思いにもなる。
次の日。取り分けていた肉を、妻が盛大に失敗したパン(さっぱり発酵せず、膨らまないで焼いたパン)で、サンドイッチにして食べた。
胸肉だかささみ肉の部分は少しパサパサしてしまっていたけど、焼いたときに流れ落ちた脂をかけて食べるとおいしかった。脂がバターみたいにうまいのだ。
そしてガラでスープを取り、雑炊にする。
土鍋で生米からじっくり炊いた。味付けは塩のみ。卵を1個、溶いて入れた。
これは最高。出汁を含んでふっくらトロトロに煮えたお米は絶品であった。
4月に読んだ本
本を読むのは、朝起きてから自転車に乗るまでの時間と、夜ご飯を食べたあと寝るまでの時間だ。その時間にスマホをあまり見なくなった、というのが読書をするようになって良かったことだ。



コーヒー焙煎
10年と少し前、妻とまだ知り合って間もない頃のこと、私がコーヒーが好きだからというので、妻がコーヒー豆の焙煎器をプレゼントしてくれた。
なかにコーヒーの生豆を入れ、揺すりながら火にかけて、好みの焙煎具合になるまで煎る、という道具だ。
何度か生豆を買って焙煎を試してみると、案外というか変な味になることもなく、普通においしいコーヒーが出来上がったのを覚えている。
しかし、それで自家焙煎にハマるということはなく、面倒なのでだんだんと使わなくなった。この手の道具がたいていそうなるように、物置にしまいっ放しになったのだ。
まさか、また使う日が来ようとは思わなかったな。
どういうわけか、妻が「焙煎してみよう」と言い出し、10年振りにあのカラカラと焙煎器を振り続ける作業をすることになったのだ。
チャフ(薄皮)が飛び散るので、屋外にてそれは行われた。やはり面倒だな、という気持ちはまだ拭いきれていなかったが、こういう原始的な行為は、やればやったで素朴なおもしろみがある。火の熱や、変化していく豆の色、パチパチはぜる音をダイレクトに感じるのは楽しかった。
焙煎を終えて、家に帰るとき、コーヒーの香りというより焙煎独特の燻された匂いが服に付いたのだろう、そういう香りを感じて、昔やったときもこうだった、お気に入りの喫茶店の香りもこれだ、などと、あれやこれやを思い起こさせた。

普段は、夕方以降はカフェイン入りのコーヒーを飲まないが、今日は、煎ったばかりのコロンビアを淹れて、一杯飲んだ。やはりちゃんとコーヒーの味である。柔らかい味わいだ、と思った。
そして、このコーヒーを注いだマグカップは、今年の誕生日プレゼントに、と妻に買ってもらったものだ。10年前と現在がつながった。

記念日の食事
結婚記念日と誕生日がやってきた。(同日なのだ)
お祝いとして、軽井沢の「飯箸邸」にご飯を食べに行ってきた。
去年の軽井沢旅行で食べた料理が心に残っていたので、今回はどうしようかと考えたときに真っ先に思い浮かんだお店だった。
それも、初日の夜と、次の日のお昼と、2度行った。
軽井沢にはおいしいお店がいくらでもあって、どこで食べるか考えるのは悩ましい。けれども、今回は他にどこにも行かなくてもいいんじゃないか、と思った。続けて食べたらおもしろいんじゃないか、と考えたのだ。




夜のデザートではメッセージ付き。妻がお店の方にこっそりお願いしてくれたのだった。ありがとうございました。
2日目のランチはアラカルトで。お昼の時間に行くのは初めてだったけど、日中の明るい光の中で食べるのも良かった。建物の雰囲気も美しいし、テーブルから望む庭も、新緑が気持ち良く映えて素晴らしかった。木々にはさりげなくリスが来ていて、これがわざとであれば少しあざといくらいの演出だった。
お昼においしいものを食べるのはいい。歳を重ねてきて、私は朝や昼の食事の方に重きを置きたくなっている。
ともかくも今年は大変なぜいたくをしてしまった。でも記念日も二つ重なっているわけだし、いいだろう。



