HAGIBLOG

自転車とお菓子作り

なんとなくはっきりしない僕(ら)の塩竈ー松島サイクリング

20130429

 

いつの話なんだという感じだけど、思い出して書いてみよう。

4月の終わり近くのうららかな一日だった。愛子駅を起点として、塩竈と松島とを回るサイクリングに行ってきた。自転車シーズンの幕開けにふさわしいとてもいいサイクリング。それに加えて、自分が自転車に乗っている意義といっては大げさだとしても、なにがよくて自転車に乗るのか再確認したような旅だったと思う。同行、というか、コースを考えてくれ、なおかつ前を引っ張ってくれたのは仙台在住CAAD10乗りのHさん。感謝。

朝、7時、山形駅輪行バッグの出番は久々。袋に入れるのに手間取って、列車の時間に遅れそうになった。休日の朝の時間は電車も空いているね。持ってきたパンを食べる。

8時半、愛子駅。Hさんと合流。自転車を組み立てて走り出した。 そういえば、BMCで県外を走るのは初めてだな。道の予習もせず来てしまった。ただ後ろについて走っただけなので、どの道を走ったのか今もってわからない。その日は柔らかい日差しに満ちていて、行く手を邪魔する嫌な風もないとてもいい天気で、巡行が大変気持ちがよかった、ということしか。

20130429

 

塩竈神社。花も緑も鮮やかで桃源郷のようだ。桜も散り際ながら残っている。装束をつけた人の行列。鳩の群れ。なんというか、ここは別世界。

賽銭箱に小銭を投げ入れて、人は何を祈るのだろう。祈って願いが叶ったためしがあったというのか。それでも願い事を託さざるをえないわけだ。僕だって例外ではない。僕の願いは、ほとんど一つだけ、いつも平穏に生きられますように…。

そしておみくじを引いたのだった。「なんとなく全てにはっきりしない」。小吉を告げる紙切れの冒頭にはそう書かれていた。あとにはいかにも小吉らしい助言が連なっている。友人や先輩の忠告を聞くようにだとか、そんなことだ。大きなお世話だ。

だいたい「なんとなく」ってなんだ。この言い方自体ずいぶんと曖昧じゃないか。釈然としない思いでおみくじを境内の縄に結んだ。

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塩竈神社を後にする。ああ、正直もうこの時点で脚が重い。Hさんのペースはかわらない。ついていけなくなりそうだ。焦る。呼吸が乱れる。だんだん日が高くなってきた。地面に落ちた自分の影を見ていた。弱気になったのだろうか。ペダルを漕ぎながら、あの紙切れの言葉が浮かんでは消える。なんとなくすべてに……たしかにそうだよな、はっきりしないんだよな。

松島は人が多かった。観光地としてのにぎわいがあった。けれども、ここがかつての被災の地であり、そしていまはなんなのだろう。そんなことに思いを寄せる、というよりも、思いを寄せるべきなのかと考えてしまう。復興とはなにか。そのことについて、だれが、なにがはっきりしているというのか。

五大堂をバックにしたところにちょうどよい自転車かけがあった。記念撮影をぱちり。

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松島を後にして、内陸の方面に向かう。この辺の道も、以前の仕事で通った覚えがあるようでもあり、ないようでもある。記憶がおぼつかない。はっきりしないのは先の見通しだけでなく、後ろを振り返ってもそうなんだよなあ。

まてまて、たかがおみくじにどれだけ気をとられているんだ。ばかげている!

お昼は大和町の、普通の家でやっているようなおそば屋さん。そばもおいしい。天ぷらもおいしい。そしてそばの味がはっきりしていたように、店のおかみさんもはっきりしている(性格が)。

20130429

 

さらに休憩地を求めて、とあるカフェにたどり着いた。大きい道路からは外れた、ずいぶん奥まった場所にあった。でもそのわりに客もずいぶんやってくる。こんな雰囲気の大層よろしいカフェで、ふわふわのシフォンケーキでも食べれば、このモヤモヤをいくらかでも取り除いてくれるのか。くれやしない。

20130429

 

さあ、あんまりのんびりしてると、日も暮れてしまう。もうひとふんばりしないとな。しかし、だ。再スタートしてすぐに脚がつらい。休憩しても完全には脚が回復しなくなってきた…。

そうだよな。なにがはっきりしているって、この肉体のつらさだけははっきりしている。この脚の重みは、鈍い痛みは、僕の弱弱しい体に確実に蓄積している。その重みと痛みが、ロードバイクの車輪の上でもがいている。それでも滑るように前に推進していくスピード感とともに。

あるいは、こうはいえるのかもしれない。自分をとりまく現状が、いま一つ晴れ晴れとしない、曖昧な居心地の悪さを強いられているものだとしても、僕はそれに対抗するために、何か一つ自分を確実にしてくれるものを持ち得るために、たぶん自転車に乗っているのだ、と。

20130429

 

愛子駅に舞い戻った。95kmの行程だった。100kmに及ばず、かつ休み休みの行程でもかなりの疲労感…。体力ないなあ。Hさんは「余力があれば作並駅まで」といっていたが、僕はとても無理。愛子駅でそそくさと帰る支度をして、電車を待つのでありました。ふうっと一息。でもさ、自転車の疲れはいつでも心地よい疲れなのだ。

季節はまだ春、夕方になると震えるほど肌寒い風が吹いた。そして日が落ちて、景色がぼんやりと霞んでいった。

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