『人生がときめく片づけの魔法』を読んで、片づけ進行中である。片づけがはじまってだいぶ間が空いているが、決して三日坊主で終わっているわけではない。
こんまり氏は、最初にモノを捨てることを完璧に行うこと、と指示している。それも「モノ別」に順番に片をつけていくらしい。まずは衣類、次に本類、書類、小物類、そして最後に思い出品という順番。
第一段階の、服の取捨選択については、初日にもう済んだ。もともと服にはそれほど執着しない質なので、そんなに難しくなかった。
二番目は本類である。
実は、この片づけを始める前に、すでに大方の本をブックオフに持っていって処分していた。であるから、今度の選別は、本棚のほんの一角に残っている分が本当に必要かどうか、もう一度見るだけで良い。これも簡単である。
…ところが。簡単であるはずのその作業に、はたと迷いが出てしまった。本棚にあったのは、フランスの作家ミシェル・ウエルベックの小説のいくつかだった。内容は事細かに覚えていないが、どれも、中年男性が主役の、哀れで救いようのない暗い話だったと思う。「片づけの魔法」の大原則は、そのモノに「ときめくかどうか」だ。その本にときめくか? ミシェル・ウエルベックにときめくか…?
普通に考えたら中年男性の悲哀にときめくはずもない。というか、片づけを成功させ人生をときめかせるためには、そんなものにときめいてはいけない気がする。だけど、なぜか、この本を躊躇なく切り捨てることができない、なんだろう、僕の胸のうちのどこかに、その薄汚さ、惨めさを、大事に抱え込みたい何かがあるのかもしれない…と思うと、はたしてこの片づけが、うまくいくのか、一挙に暗雲が立ち込めるような気がするのだった。