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HAGIBLOG

自転車とお菓子作り

似顔絵

しばらく日記を書きそびれてしまいました。書くことがあるようでないようで、でもそれなりに忙しく、ただ気持ちに余裕を持てず毎日が過ぎて行くのでした。

その間に村上春樹の『騎士団長殺し』は第2部まで読み終えた。読んでいる最中の面白さの度合いでは、最初の方は「これは大変なものだぞ」と期待がぐんぐん高まる感じであったのが、途中からは横ばい状態で、最後はややあっさりと終わった印象であった。でも終止ぐいぐい読まされるたいへん面白いものでした。

小説の主人公は、肖像画を生業としてなかなかの巧者で評判も良い、というような画家であった。肖像画というより似顔絵なのだけれども、実生活でも似顔絵を描かれる体験がありました。そのことを書いてみよう。

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その絵は1枚の色紙に描かれた。カーディーラーのオープン記念かなにかで、お店の中で似顔絵描きというのをやっていて、そこで描いてもらったのだ。オープンしたばかりの明るい店内はお客さんで賑わっていて、その似顔絵描きもなかなかの盛況で、ずいぶんと順番待ちができていた。予約をして、お店を後にして蕎麦などを食べに行った。蕎麦とふきのとうの天ぷらなどを食べた。2時間後にまたお店に戻り、いよいよ似顔絵が描いてもらうことになった。

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こんなふうに改まって自分が描かれるという体験が、いつ振りなのかわからない。僕自身も以前は画学生だったのである。だけど、そのときだって人物画も似顔絵もほとんど描いていなかったし、描かれたこともなかった。子ども用なのか低すぎてひどく座りにくい椅子に腰かけて固まっている僕を、画家は鋭い眼で睨みつけると、数種類のペンを用いて慣れた手つきでさらさらと輪郭を描いていく。衣装は想像で描くというので、おまかせした。

別の人を描いた完成品が何枚か飾られていたから、こういう感じに描いてもらえるのね、というのは分かっていた。だからまあ、過度な期待はしないにしても、まあまあいい感じに描いてもらえると記念になるね、くらいには思っていただろうか。

けれども、完成して受け取ったそれは、想像していた自分とは意外なほどに違っている似顔絵だった。似てるといえば似てる。絵はふつうに巧い。細かいタッチを丁寧に使い分けている。でもなんだろう、この、これじゃない感。

きっと、モデルも姿勢やら表情やらが良くなかったに違いない。だから描きにくかったのかもしれない。それに限られた時間の中で、一発で絵を描くということがどれほど難しいことか。あるいは、僕はあまりに自分がイケメンだと思い込んでいるために、それによってこの似顔絵が別人のようだと考えるのかもしれない。こんなの違う、と必死に訂正したいだけで、本当はまごうことなく僕自身の肖像なのかもしれない。しかし、この不審な男が?

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「ぼくもぼくのことが理解できればと思う。でもそれは簡単なことじゃない」。『騎士団長殺し』の主人公はそう語ったのだった。同じことをつくづく思うのである。僕も僕のことが理解できればと思う。でもそれは簡単なことじゃない。

じっと長い時間見ていると、ふと、この似顔絵はやはり自分自身なのかもしれないな、という気がした。そう思うと、僕はすごく申し訳ない気持ちになる。特に、この隣の人に対して申し訳ないと思う。彼女はこうした不審さを何よりも嫌がるはずだから。

この似顔絵を描いてもらうことによって、ひとつ理解が深まった気がするし、それも含めて最近僕はいくつかのことを学んだ。僕は自分のなかにある不審さをできるだけ取り除いていきたい。そしてこれからも楽しく生きていきたい。

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騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

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