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自転車とお菓子作り

わたしたちが孤児だったころ

夏休み。実家でのんびりと過ごす。最近はちっとも本を読むことがなくなっているのでこの機に小説などを読もうとカズオ・イシグロの『わたしたちが孤児だったころ』を図書館から借りてきた。

著名な探偵である語り手が、当時の記憶を回想しつつ子どもの頃に失踪した両親を探す、というストーリー立てになっているが、後半、いつのまにか事態が急激に核心へと近づいていくあたりから、語り手の記憶というか思考回路がずれてくる、その奇妙な歪み具合が圧巻である。両親が幽閉されていると思い込んでいる目的地へ向かう様は、普通に考えてまともな感覚を持った探偵の行動ではないのだが、それが当人の口からこともなげに語られるのがシュールである。

語り手の記憶も物語もどこまで本当なのかはわからない。なにに対しても信頼していいという根拠はない。あるいはそれは、わたしがいま見えているこの世界だって同じかもしれないのであって、わたしはわたしを信頼できるのだろうか…ということであり、しかしそれでもわたしは、自分に残されたかすかな記憶を拠り所にしてこの混迷をきわめる生に立ち向かうしかないのだが…ということではなかろうか、と思った。

 

だが、今になってきみにも世界がほんとうはどんなものだかわかっただろう? きみがどのようにして有名な探偵になれたかもわかっただろう? 探偵とはな! そんなものが何の役に立つ? 盗まれた宝石、遺産のために殺された貴族。世の中で相手にしなければならないのはそういうものだけだと思っているのかい? きみのお母さんは、きみに永遠に魔法がかけられた楽しい世界で生きてほしいと思っていた。しかし、そんなことは無理だ。結局、最後にはそんな世界は粉々に砕けてしまうんだ。きみのそんな世界がこんなにも長く続くことができたなんて奇跡だよ。さあ、パフィン。きみにチャンスをやるよ。さあ